デザインと権利と感情/民意

『デザインと権利と感情 / 民意』菊地敦己/室賀清徳/水野祐

のトークショーに行ってきました。そこでの議論の感想とか。

(場所: 原宿VACANT)

オリンピックエンブレム問題をテーマにしたトークショー。

「今日は陰謀論的な論点からの話はなしですよ(笑)」という司会の言葉からはじまりました。

菊地敦己さんと、雑誌アイデアの編集長、デザインの権利関係に詳しい弁護士さんを招いて今回の五輪エンブレム騒動を振り返る。誰が悪いという短絡的な話ではなく、一体何が起こったのかという所から騒動の見解、さらにはデザイナーと呼ばれる人種たちがこれから先、どうやって生存戦略を立てていくのか、デザインという仕事の領域がどう変化していくのか、もっと意識して危機感持ったほうがいいよねーという話題もあったり、とても幅広く面白い議論になっていました。

エンブレム自体には問題はない。

デザイナ的観点、法的観点からも改めて今回のエンブレム自体にはなんら問題はなかったという見解の話がありました。が、じゃあなぜ問題が大きくなったのか。やはり、騒動の直後に起こったトートバックの画像盗用をはじめとしたポロポロ出た他所での粗相や委員会の後出しジャンケンが話を余計に余分に大きくしてしまいました。そして「違い」をうまく説明することができなかった(伝わらなかった)のも、今回の結果の要因でしょう。

素人が吠え続け、プロたちは隠れた。

関係ないですが、お笑い芸人さんがTVでよく言う「素人が」「素人の」というフレーズが自分は昔からとても嫌いです。まったく第三者のエピソードなのに、なぜか自分もひっくるめて「素人」という一言で片付く何かに勝手にカテゴライズされている気分になってイラッときます。そういった時はたいていチャンネル変えます。だから、明石家さんまの番組とかほぼ見れません。

今回の騒動も、これと似た感情によって怒った人たちも結構いるのかなと思います。

マスメディアが報じ始めた同時期に関係者に近しい方たちの反論や擁護に似た言動がありました。

「全然似てない、素人にはわからない」なんて言われたら、そりゃ言われてる側はカチンときちゃいます。これが火に油を注ぐような形となり炎上が拡大していきました。「どこが似ていないのか、何が違うのか」の議論なりが皆でもっときちんと出来れば、もしかしたら違う結果になっていたのかもしれません。が、これまでデザインという分野を一般大衆を交えて大きく議論したことがない業界が、そのような仕組みをあの短期間でつくれるような体制も体力もお金もあるわけがなく、そして、あの状況で大衆の面前に顔を出すこと自体になんらアドバンテージもないという環境下では自然鎮火を待つしかないのも仕方ないのかなと思います。

デザインのオリジナル性とアイデンティティについて

「デザインに完璧なオリジナリティーは存在し得ない」これは大切な意識であると思います。決してデザイナーたちの言い訳ではなく、ゴマンと溢れた情報の大海に「見た目に限った新しさを生む」ことだけに力・お金を注ぐことに大きな価値はないと思います。そこに紐づくアイデンティティーや物語を設計するのがデザイナの本領であり、そこに新たな価値をつくることが大事だと思います。

もう誰がつくってもいい。

知る通り、結局エンブレムについては白紙撤回で再度のコンペとなりました。1回目と違うその門戸の開け方、そして敷居の下げ方についても少し触れられてました。「仮に素人の学生なりが作成したエンブルが選ばれたところで、その後、その人がポスターなりCMなり様々な展開についてのビジュアル制作まできちんとこなせていけるのか?無理だろう」と。

確かに。無理です。応募の敷居は下げましたが結局のところは、ある程度体力のある制作会社か電通と繋がりのある組織がやるしかないと。民衆を黙らせるためにとった回避措置ですね。

「もう結局は誰がつくってもいい。エンブレムだけ適当に選んで、あとはこちら(運営側)で巻き取って展開してお金になるように動かしていきますから」という委員会側の考えが透けて見えています。

たぶん、もう何が選ばれても国民はたぶん今回の五輪エンブレムを有難がることはないでしょうね。

別に有難がる必要はないですが。